Human

想ったことや考えたことについて好きなように書くエッセイブログ

物事に絶対的な善悪はない

善悪の存在

 

僕が常に疑問に思っていることで、果たしてこの世に善と悪というものはあるのでしょうか。

 

僕は無いと思っています。あらゆる物事に関して善悪、つまり「道徳的に正しいこと」と「道徳的に間違っていること」は存在しないと考えています。

 

理由として、善も悪も結局は人間の都合によって形成される概念に過ぎないからです。

 

善すなわち(道徳的に)正しいこととは、人間にとって都合が良く、他人にして欲しいことを示します。逆に悪すなわち(道徳的に)間違っていることとは、人間にとって都合が悪く、他人にして欲しくないこと指します。

 

そのため、「正しいこと」や「間違っていること」は本来なく、人為的につくられたものでしかありません。

 

個人的な話、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると何事においても白黒つけたがる人や不正を何としてでも正そうとする人を見るとかなり不快に感じます。

 

善悪の区別をはっきりつけるというのは、一見正しいことのように見えます。しかし、これは自分たちの都合の良い悪いで物事を区別しているだけです。都合の良いものを善だと推奨し、都合の悪いものを悪だと非難することは、利己的な行為でしかありません。

 

次に、一般的・常識的に考えられる善悪をそれぞれ一例として取り上げ、僕の意見を述べます。

 

まず善について。考えられるものとして人助けがあると思います。僕はこれを善行とは思いません。

 

なぜ人を助けるという行為が善とされているのか。それは多くの人が困っているときには助けて欲しいからでしょう。自分に対して「して欲しいこと」が善=正しいことになっています。

  

人助けが善=正しいことでないのであれば、これは必ずしもしなければないことにはなりません。困っている人を見かけたとき、相手の様子、相手との関係、自分の状態などを考慮した結果、どのような行動にでようとそれは自由でしょう。

 

次に悪について。考えられるものとして殺人があると思います。僕はこれを悪行だとは思いません。

 

なぜ人を殺すという行為が悪とされているのか。それは多くの人が殺されたくないからでしょう。自分に対してして欲しくないことが悪=間違っていることになっています。

 

殺人が悪=間違っていることではないのであれば、善の場合と同じで人を殺すも殺さないも個人の自由でしょう。ある人物に、警察に捕まろうが世間から非難されようが、それでも殺したい相手がいるとすれば、その先の行動をどうするかはその人物の決断に委ねればいいと僕は思います。

 

誤解しないで欲しいのが、僕は人助けを否定しているつもりも、殺人を肯定してるつもりもありません。

 

僕自身、助けてもらいたいときはあるし、当然殺されたくはありません。だから、殺人が法律で禁止されていて警察という組織も存在する日本に住んでいます。

 

その方が殺される確率は低くなり、僕にとって都合がいいです。

 

善悪の区別をすることは正しいことではないが、「してはいけないこと」だとは思いません。「してはいけない」=悪とすれば、自分の言っていることと矛盾してしまいます。

 

人がより暮らしやすい環境をつくるために、自らの欲求に基づいた善悪という概念をつくることは全然悪いことではありません。自分たちに都合のいい社会を形成していくことは非常に重要なことでしょう。

 

ただ、人間が「して欲しい」や「して欲しくない」という勝手な都合で善や悪をつくっていることは確かで、それを守ることが「正しいこと」で守らないことが「悪いこと」なのかは疑問に感じています。