Human

想ったことや考えたことについて好きなように書くエッセイブログ

言葉の使い方に正しいなんてない。言語とは後付けされたものに過ぎない

今回は言葉というものについて書きます。

僕は正しい言葉の使い方なんてないと考えています。言葉そのものは単なる手段にすぎず、それに含まれる意図・意味さえ理解できればそれでいいのです。

僕たちが一般に正しいとしている言葉の使い方とは、おそらく学校の国語の授業で教わったものでしょう。

これは人々がバラバラの言葉の使い方をしていると、彼ら同士がコミュニケーションをとる際に不便であるため、暫定的に決められた使い方を学んだだけです。

ただ、この使い方も大切ではあると、僕は思っています。

現にこうしてブログを書くとき、できるだけ多くの人に理解されたいと思えば、前に書いた国語教育に従った言葉の使い方をするのがより良いでしょう。

例を挙げればきりがないですが、不特定多数の人に自分の意思を伝えたい場合は、みんな知っている言葉の使い方に則っておくのが無難です。

しかし、これはあくまでその言葉の使い方をした方が自分の意図していることを伝えやすいというだけです。この使い方が絶対的に正しく、それ以外が間違っているというわけでありません。

重要なとは、読み手や聞き手が言葉に含まれている意図や意思を理解することです。それさえできれば言葉の使い方なんていうのはどうでもいいことなのです。

国語の授業で習った使い方と違っていて、めちゃくちゃな言葉使いだろうと、自分の意思を伝えること、逆に相手の意図を汲み取ることが最も大切なことではないでしょうか。

もちろん、それが前述した「正しい」言葉の使い方で、ほとんどの場合通用するのですから、その使い方さえしていればいいという考えもあるでしょう。

僕はそれを否定するつもりはありません。あなたがそれでいいなら、その使い方だけしてればいいし、その使い方で書かれた、あるいは話された言葉だけ理解してればいいでしょう。

しかし、世の中には色々な人がいます。その「正しい」使い方ができない人、あえて「正しい」使い方を避ける人など...。

彼らのような「正しい」言葉の使い方ができない人とは決してコミュニケーションをとらないという人は別にして、彼らのような人の言葉の意図や意思を理解したい少しでも思ったなら、ここまで僕が書いた内容を頭に入れていただければと思います。

極端な例を出すと、「頭が痛い」ということを相手に伝えるとき、一般的にはそのまま「頭が痛い」と言います。しかし、あらかじめ互いに「頭が痛い」を「AI」で表せると決めておけば、その後はその2文字で事足りるということです。

もちろん、これはそれを知っている者同士の間でしか通用しませんが、それは他も同様でしょう。「正しい」言葉の使い方も学校の授業で習い理解した者同士でしか通用しません。

だからこそ国の学校教育というものは重要だとも言えますが。

地域や世代、特定のコミュニティなどによっても言葉の使い方は違ってきます。それら同士では通じていても、側から見ると何を言っているのか分からないということはあるでしょう。方言や若者言葉、ネットスラングなどがそれに当たります。

しかし、これも言葉の使い方の1つです。その地域の人々・その世代の人々が何を意図しているのか知るためには、彼らの言葉使いも把握しておく必要があるでしょう。

もちろん、彼らの意図していることに興味がないのであらば話は別です。また、自分の言葉の使い方に相手が合わせるべきだと考えるのも自由です。

言葉の使い方に絶対的に正しいと言えるようなものは無く、大切なのは相手の意図や意思を理解することです。または、自分の意図や意思を相手に合わせた言葉の使い方で伝えることです。

そのために、普段自分が使っている言葉だけが正しいと思い込まずに、色々な言葉の使い方を認めることも必要であると、僕は考えています。