Human

想ったことや考えたことについて好きなように書くエッセイブログ

2018-01-01から1年間の記事一覧

罰則は違反行為をするための代価

最近ふと感じたことなのですが、僕は罰則というものが実はかなり恐ろしいものなのではないかと思うようになりました。 罰則とは、簡単に言えば「ルールや規則に違反したものに罰を与える」という意味です。一般にあるものとしては刑罰などがあります。その刑…

科学は宗教か

「科学と宗教」 この2つはよく対比として用いられることがあります。多くの場合それは宗教と比較して科学がいかに優れているかを伝えるためだと考えられます。 しかし、これとは逆に科学も宗教と同じだと言う人も中にはいます。現代の人々があまりにも科学…

物事の感じ方は人それぞれ違う?

動物には外界の刺激を感じ取る感覚器官が備わっています。当然、人間にもそれはあり、目や鼻、耳などがそれにあたります。人は感覚器官を通じて外の情報を得ることができるのです。 しかし、果たしてそれは全ての人間がみな一様に同じものとして対象を感じて…

人の性格はまるで色のよう

最近ふと僕は「人の性格って色みたいだなぁ」と思いました。僕はこのブログの記事で人はそれぞれ違うだとか、それらにどれがいいとか悪いとかはないだとかいうことを書いていました。今回はそれらとも関連する人の性格について僕が思ったことを書きます。 四…

事実とは何か。人は自分が認識できたものしか事実にしない

今回は事実とは何かということについて、僕の考えを書きます。 言葉の意味として、事実は「実際に起こった物事」を指すとされています。また事実は客観的なもので、誰が見ても「実際に起こった物事」として認識されることです。 対して真実という言葉もあり…

加害者家族の支援

この間ネットのニュースで家族に犯罪などの加害者が出てしまった人たちの困難と、彼らを支援しようという取り組みについての記事を見かけました。 今回はこの加害者家族とその支援について、僕が思ったことを書きます。 結論から言えば、僕は加害者家族の支…

正論なんてない。それは個人の見解の一つ

今回は正論というものについて、僕の考えを書きます。 僕は正論などと呼べるものは存在しないと考えています。よく、人々は自分や他人の見解を正しい主張であると決めつけ、それを正論だと考えます。 しかし、それは個人の見解の一つでしかなく、それだけが…

言葉の使い方に正しいなんてない。言語とは後付けされたものに過ぎない

今回は言葉というものについて書きます。僕は正しい言葉の使い方なんてないと考えています。言葉そのものは単なる手段にすぎず、それに含まれる意図・意味さえ理解できればそれでいいのです。僕たちが一般に正しいとしている言葉の使い方とは、おそらく学校…

多くの人は自己価値が高すぎる

今回の記事では自己価値つまり自分の価値というものについて書いていきます。 自分自身にどれくらいの価値があるのか、そしてそれはどうやって決まるのか、自己価値に関して僕の考えを書きます。 まず、タイトルにもあるように多くの人は自己価値が高い、さ…