人はやりたいことしかしてない
僕は人って自分がやりたいことしかやってないと思っています。
しかし、おそらく大多数の人は僕とは正反対の考えを持っているでしょう。つまり、人はやりたくないことでも我慢してやっていると。
まず、この意見に対して僕が思うことを説明します。
人がやりたくないけど我慢してやっていることの例としては、勉強や労働などがあるでしょうか。やりたくないことというのは人によっても違います。勉強や仕事が好きという人もいると思うので、あくまで僕の主観で取り敢えず挙げたに過ぎない事例だと思ってください。
さて、学生でも社会人でも実感が得られやすいと僕が思う、勉強と仕事の2つを用いて、人はやりたくないことでも我慢しているという意見に対する僕の見解を書いていきます。
やりたくないのならやめればいいじゃないですか。
この一文につきます。
これでは説明不足すぎると思うので、補足を加えていきます。
勉強をするのはなぜですか?
賢くなるため、より良い学校に進学をするため、親や先生に言われたため、みんながしてるため、学生の本分とは勉強をすることであるため等々、その理由は様々でしょう。
しかし、これらは言い換えれば、賢くなりたいから、いい学校に進学したいから、親や先生に言われたことをしたいから(逆らって怒られたくないからなど、この理由の内にも多様な要素があるでしょう)みんながしてることをしたいから(同調圧力とか嫌ですよね)学生の本分を果たしたいから(立派ですね。勝手にやってください)と個人の「やりたい」という感情にもなります。
つまり、何かしらの目的のためにみんな勉強を「したい」のです。
同じく仕事です。
お金を稼ぎたい、安定した生活を送りたい、世間体を守りたい、みんな働いてるから取り残されたくない、社会人としての本分を果たしたい(立派ですね。勝手に以下同上)等々ですかね。
勉強と同様、みんな仕事を「したい」のです。
上記したことをまとめて言うと、人間が行う全ての「やりたくない」こととは、全て何らかの目的のために「やりたい」ことです。
これが、人は自分のやりたいことしかやっていないと僕が考える理由です。
でも人間という生き物は弱いので、つい自分は辛く苦しいことをそれでも耐えてやっていると思いたくなるものです。その点は僕も同じです。とても共感します。
しかし、他人に「好きなことばかりしては駄目だ」などと言ってる人には、ぜひ僕が今回書いた記事を読んで考えを改めてほしいと思います。
好きなことばかりしてる人間しかいませんから。こういう発言をしてる人こそ自らの行動を省みた方がいいでしょう。
その人が自己満足あるい優越感に浸りたくて言ったにしろ、本当に言った相手の将来がより良くなることを望んで言ったにしろ、好き勝手言ってることの変わりはないのですから。