人間は理性より感情で動く
人間とは常に感情>理性。
今回は感情と理性について書きます。僕は心理学に関心は持っていても、まだ具体的な知識はないので、あくまで個人的な主観で話します。
僕は人間は常に感情を最も優先して行動している存在だと考えています。よく「人間は感情を理性でコントロールできる」と言われますがこれは全くもって見当違いではないでしょうか。
むしろ感情が理性を支配しています。
感情あるいは欲求といったものがあるから理性あるいは自制心というものがあるのです。
人が理性的な思考や行動をするのは、その方が自分の感情や欲求を満たせるからです。理性的になった方が都合がいいからそうしているのです。
自分にとって好ましい結果を得るためにはどうしたら良いか、という感情的な動機から理性的な行為に移るのが人間だと、僕は思います。
例えば、もうすぐ試験があるとします。理性的な思考力をもつ人は合格するために勉強しようとします。しかしこれは、「合格したい」という欲求が先行していて、それを達成するためにどうすればいいかを理性的に考えて行動したのです。
他にも、ある人が友達に怒りを覚えたとします。その人は友達を殴ろうとしましたが、なんとか踏み止まることができました。これも上と同じように、殴れば相手との関係が壊れるかもしれず、「これからも友達でいたい」と思ったから、自制心で抑えたに過ぎません。
理性的な思考や行動というのは、あくまで人間が使うことができる手段でしかなく、目的は感情や欲求から来るものです。
そのため当然、感情的な行動をすることもできます。
上の二つの例を再び用いれば、試験勉強なんて「やりたくない」からやらないこともできるし、「殴りたい」なら殴ることもできます。
代償として、試験結果や交友関係は...。でも、思ったより簡単な試験かもしれないし、友達もすごく寛容な方かもしれないので一概には言えませんが。
何が言いたいかと言えば、人は常に感情や欲求に従っている動物で、理性や自制心とはこれらを達成する際に使われる道具だということです。
道具=手段ということは、これを上手に使える人もいれば、うまく使用できない人も当然います。
これが一般的にいう、感情的な人と理性的な人の違いではないかと、僕は思います。
理性的な思考や行動が上手くできなくて、つい感情の赴くままになってしまう人もいれば、感情機能があまり発達していなくて、理性を使用することに長けている人など様々です。
感情をよく表に出す人や自らの欲求に素直に生きたいという人もいるでしょう。
逆に感情が表に出るのが嫌な人や自己の欲求を抑えたて生きたい人だっています。これらも「嫌」という感情、「抑えたい」という欲求から来ています。
どちらにせよ、元が感情・欲求であることに変わりはなく、それが人間です。そもそも感情や欲求がなければ、人は理性的で合理的な動物に至ることはなかったでしょう。
「もっと楽になりたい」、「嫌なことを避けたい」という欲求を叶えるために、人は合理的な存在になろうと努めたのですから。
以上が、僕が感情が理性を支配していると考える理由です。
感情による動機から、そのまま感情に従って行動するか、あるいは理性を用いた行動をとるかは個人の自由で、時と場合にもよるでしょう。そしてこれは、感情的な人と理性的な人どちらを好むかも同様です。